自己紹介
埼玉県桶川市を拠点に
菓子製造業の許可のある工房にて
フルーツカッティング教室
(オンライン&対面)をしている
村田みどりです。
2020年より始めた
オンラインレッスンは
これまで対面で参加が難しかった
多くの方々に参加していただきました。
例えば、
お菓子教室やお料理教室の主宰者
赤ちゃんをお持ちのママ
海外在住の日本人主婦
地方在住カフェオーナーなど嬉しい限りです。
【コロナ前のお話】
2011年に活動を初めて13年、
述べ3,000人以上の方へ
指導してきました
フルーツカッティングの技術を身に付け
2011~2013年まで自宅教室を行い、
以後は業務提携した企業と
資格講座の運営。
2011年当時はまだこの技術が珍しく
すぐに様々なお仕事をさせていただき、
多くの経験を積めたことは私の財産です。
そして、2014年から開講した講座では、
大勢のカットフルーツのプロを育成。
2年間の企業研修にも
関わらせていただきました。
学びが進み最初は上手に出来なかった
生徒さんが上手に出来るようになった時、
とても嬉しく生徒さんの達成感に満ちた表情を
見てさらに嬉しくなる日々でした。
生徒さんの中には、コロナ禍でも
・カットフルーツオードブルやフルーツサンドの販売に
力を入れているカフェオーナー
・料理人とのコラボでサラダや
カットフルーツ商品の開発を
している女性起業家
・フルーツメニューの提供とフルーツカッティングレッスンを
続けたティーサロン店長
・カットフルーツに力を入れている青果小売店様
など、身に付けた技術を活かして
ご活躍中です。
少し長くなりますが、私がなぜ自宅教室での
レッスンを再開したのか
菓子製造業の許可を取得したのかなど、
お付き合いいただけたら嬉しいです。
【進路選びと人生のもやもや】
高校は進学校で四年制の大学へ進み教師になる
のが希望でしたが、親戚に四年制大学に進学
した女の子がいなかったため両親は大反対。
それまでは「人は人、自分は自分」と、言われ
ていたので、納得できるはずがありません。
「専門学校でデザインの勉強をしたい」と言うと、
「就職出来るか信用できない。短大へ行きなさい。」と言われ、
しぶしぶ推薦で短大へ進学し、伯父の縁故で就職しました。
でも、夢を諦められず1年間必死で貯金し夜間に
入学しようと思ったものの、仕事の引き継ぎの
関係で1年ぴったりで辞められず
退職後、商社で派遣社員→アパレルで営業事務のバイトをします。
アパレルでのバイトは、社割も使えてワクワク
でしたが、それまでの職場環境とは
違う人たちが多く「合わない」思い
バイトも専門学校入学も諦めました。
前の職場に空きが出て再び派遣社員になり
結婚で退職。13年間専業主婦をし、上の子が
中学入学後に事務の仕事でまた派遣社員になりました。
その直後、夫が関西に単身赴任となり
オーバーワークで体調を崩し、
たった2年で専業主婦に逆戻り。
ある出来事がきっかけでPTSDにもなり不眠や
過呼吸に悩まされ1カ月で体重は7㎏減。
病院で検査をしたところリウマチ陽性、症状は
ないものの発病すると悪性関節リウマチになる
とのことで(国指定の難病)、
適当になっていた食生活をまず見直そうと
野菜ソムリエの資格を取ったことが
今の仕事への扉を開くことになりました。
【将来の夢って何?】
娘が入園直後お友達同士で
「将来何になりたいですか?」と聞くのが流行。
私にも聞いてきたので
「かわいいおばあちゃんになりたいです!」
と答えたら大号泣。
「ママがおばあちゃんになったら嫌だぁ~」って。笑
「私、何者にもなれてない」
「子供の頃は私にも将来の夢や希望があったのに、、、」
【野菜ソムリエの資格について】
初級、中級、上級と3段階あり2014年に
最上級資格の野菜ソムリエ上級プロを取得。
受験はエントリー制で、自分のタイミングで受験するシステムです。私、上級の講座終了後4年も受験しませんでした。
当時の野菜ソムリエ上級プロの試験は、
ビジネスとしてやりたいこと事業計画書を提出し、理事長にGOサインをもらうこと。私の場合は、野菜果物に特化したメニューでの料理教室開講を目指していましたが、まわりがすごすぎてこれでは合格できないと思ったのです。
講座終了半年後、フルーツカッティングの
技術を修得しましたが、
それは愛知県在住の
フードコーディネーター田中稔先生の
影響が大きかったです。
田中先生は、当時
野菜ソムリエ講座の講師として上京の際
「野菜の切り方教室」や「盛りつけの講座」などをして下さり、
そこでの先生の鮮やかな包丁さばきに
魅了され、食材を美しく切り揃える大切さを
感じるようになっていました。
まだフルーツカッティングが珍しく様々な
経験を積むことが出来て、2014年の資格講座開講へつながっていきました。
資格講座の開講は
ワクワクしないわけがありません。
実は日本人の1日当たりのフルーツ摂取量は
20~40代が50~60グラムと非常に少なく、
健康効果が高く美味しい日本のフルーツを
もっと食べてもらいたいと思っていました。
『食べる前にカッティングで楽しみ、
完成品を見て楽しみ、香りでも楽しみ、
最後は食べて楽しむ。』
たくさんの人を笑顔に変える素晴らしい
この技術を多くの人に身に付けてもらいたい。
講座では「仲間を増やす」
「フルーツの消費を向上させる」など
様々な思いを詰め込みました。
開講後、満席が続き忙しくも楽しくて充実していました。
一緒に講座を立ち上げたスタッフと意見を
出し合い、よりよいものになるように努め人気の講座に。
しかし、カッティング技術や指導に自信は
あったもののフードコーディネート写真など
の知識がなく、 意を決し日本初の
フードコーディネーター養成スクール、
祐成陽子クッキングアートセミナーに入学
します。その時すでに50代になっていました。
なんと1番若いクラスメイトは子供と同じ年齢。
その中で常に遅れをとりながらたくさんの
課題に取り組み、先生のアドバイスを
素直に聞いて作成した卒業課題は
優秀賞をいただいて、今でもそれは驚きしかありません。
通学中に人間ドックの検査で
要再検査→要精密検査→経過観察と
1年半がんセンターへ通うということもありました。
校長の祐成陽子先生はがんで闘病された経験が
ありましたが、いつも太陽のように明るく
接して下さり、80代という
ご年齢を感じさせないパワフルな方。
温かい雰囲気の中で学ぶことが出来、
何とか卒業まで乗り切ることが出来ました。
卒業パーティーで先生方と
結果としてがんではありませんでしたが、
「人生には限りがある」ということを
強く感じた出来事も経験しました。
そして、その時の自宅はマンションで、
代々的には自宅教室は行いにくい環境
でした。住居用のマンションには、
それに沿った規約があるためです。
フードコーディネートやスタイリングを
学んだことで、レッスンにも
取り入れたいと思い始め、
また商品開発の仕事で物も増えたことから
引っ越しを考え始めるようになります。
主人は猛反対。現金で家が買えるわけではないので、
「50代半ばで住宅ローンを組むなんて考えられない」と言われました。
結局、マンションを売却して、中古の一戸建て
に住み替えたのですが、それについては一言で
言うのはとても大変で、ブログに書いている
より実際はもっとボリュームのある話です笑。
そして手に入れた中古物件の一部屋を
リフォームし、その場所で菓子製造業も取得。
2019年12月の事です。
2020年初め、気をよくしてメディアPRの塾へも入学します。
すぐにコロナ禍となり、講座の半分は
オンライン受講に代わり
肝心の仕事はといえば休業状態。
藁をもすがる思いでzoomオンラインレッスンのやり方を学びます。
品薄だったwebカメラの到着を待ち、
2020年夏オンラインレッスンをスタート。
すると対面ではレッスンに参加出来なかった
生徒さんに参加してもらえて、
「対面の代わりではなくオンラインというツールが増えた」と感じました。
たまに「自宅のキッチンは狭いし
片付いてないからレッスン受けるのは無理」という方がいます。
フルーツカッティングは、
準備と片付け以外にキッチン(水道)は
不要なので、普通のお部屋で受けることが出来ます。コロナ前は、会議室や住宅展示場などでも出張レッスンをしていました。
あとは安定したネット環境と接続できる機器と
テーブルさえあればオンラインで受講OK。
今はわからないことをネットで調べたりすると
意外と簡単に解決できることが多いです。
自分のやりたい気持ち、
続けたい気持ちを優先した結果、
今の私があるのだと実感しています。
これまでの経験から
「いつかやれればいいなと思っています」
「準備が整ったらやりたいです」
残念ながら、そういう方は目標を達成するのは難しいです。
理由は、自分が行動しなければ永遠に変わらないからです。
他力ではなく自力が必要です。
生徒さんの中にも行動が早い人は、独立して工房を開業、講師デビューした人がいます。
「先生のお陰で夢が叶った」
「フルーツカッティングに出会って人生が変わった」
こんな嬉しい言葉をもらえた時、
「ほんとうに続けてよかった」と思いました。
また、今の仕事を続けられるのは、
支えてくれたたくさんの人達がいたからです。
その方々に感謝するとともに、残りの人生で
自分の技術や経験を余すことなく
たくさんの人へ伝えていくことを使命としています。
私は限りある人生だから
好きなことやりたいことを
仕事にしたかったし、
結果今はこうして大好きな生徒さんに喜ばれ
感謝されて収入も得ることができています。